園だより


「繰り返し」


待降節の一日一日を大切に過ごしながら迎えたクリスマス会は、
子どもと親と教師が皆一体となって喜びを分かち合う、心温まる会となりました。
中でも年長児が演じた聖劇は、観ている人々の心に深い感動を与えてくれました。
当日、祝福を下さる為にご出席下さった神父様は
「自分も聖劇を経験していますので、出来るまでの大変さはよくわかります。幼い子どもたちが、これほどの劇を成し終えることに驚きました。とてもすばらしかったです」 と、お褒めの言葉を下さいました。
実際指導にあたった教師たちは、子どもの可能性を信じて「待つ」ことを大切にしながら練習を繰り返しました。
ひとり一人に与えられた役を演じ切るためには、台詞と振り付けを覚えなければなりません。
場面場面で変わる幾人もの子どもたちが、それぞれの台詞をその場に応じて言っていくことを教える事は、普通でしたら容易ではありません。
しかし、指導した教師は「何の苦労もなかった。子どもたちが自分から覚えたのよ」 と、いいました。
この現象はなぜ起きたのでしょう。
マリア・モンテッソーリは「子どもが愛好心から何度も同じ動作を繰り返すようになると、もっと重要な段階がやってくるのです。その人が、自分にとって興味深く、魅力ある存在だと知ったら、この人と一緒にいて会話を楽しもうとします」 と、いいます。
つまり、子どもたちは教師という媒介を通して、イエス・キリストの存在に興味を持ち、
自分たちが繰り返し生誕劇を練習するうちに、その内容に魅力を感じていったのです。
台詞を覚えると言う作業は、困難な事ではなく楽しいキリストとの会話だったのかもしれません。
今回は、台詞を教師から子どもに口伝えで教える伝唱法でした。これは大変根気のいる作業です。
しかし、この方法は紙を見て覚えるのではない為に、教師から教わるその時に子どもは集中するという現象を作りました。
結果として耳で聞いた台詞をはっきり、ゆっくり話すことになり、聞いている側に台詞がよく伝わりました。
また、繰り返しの現象についてマリア・モンテッソーリは、
「繰り返し繰り返し理屈抜きで動作が繰り返された時、しばしば子どもの心には、突然一条の光のような知的なひらめきが浮かぶものです」 と、述べています。
当日の子どもたちが、堂々とした姿で大勢の前で演じ切ることの出来た背景には、
活動において集中現象を作り出す要因のひとつである練習という、繰り返しがあった事がよくわかります。
聖劇を繰り返し練習していた頃の年長児たちは、クラスの中でも自信に満ちた行動をとっていました。
活動を探せずに部屋の中をうろうろしてしまう状態が見られなくなっていたのです。
練習は個性の様々な子ども同士が思いやりの心を持って、助け合いながら行なわれました。
劇を創り上げる喜びは、自分自身を創り上げる満足感になっていることを、子どもたちの姿から教師たちは学びました。
生誕劇に興味を持つ。⇒自分自身が演じることでその内容に関心をもつ。⇒台詞を覚えようと繰り返し練習し、集中する。⇒自信を得る⇒他者への思いやり
今までも作業と人格形成については幾度も述べてきましたが、
繰り返しの大切さと子どもの生活すべてが子どもを作る大切な要素であることを、この練習を通して再確認致しました。
これからも日々の保育を大切に過ごして参ります。
ご一緒に教育法の理解に努め、保護者と教師が心を一つにしてお子様を育てて参りましょう。

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