園だより


「正常化された子ども」


先日年長さんは、教師に引率され上野の国立科学博物館に行ってきました。
2、3年前入園した頃は、親とはなれる事に不安を抱いていた子どもたちです。
それが今では約1時間電車に乗って出かけて行き、公共の施設を何の心配もする事無く見学し、
生命の誕生の歴史に関心を持つまでに成長しました。
入園以来、自分自身の内的欲求につき動かされながら活動を続けてきた子どもたちは、集中現象を繰り返し、人格を形成してきました。
その結果が今回の自立した行動にも表れているのでしょう。
マリア・モンテッソーリーは、 「12人いれば12通りの逸脱した子どもの状態が見られます。しかし、子ども一人ひとりが時と場所に応じ自主的な活動の中で集中現象に身をまかせたのなら、全ての子どもたちは正常な状態に到達するでしょう」 と著書の中で述べています。
本園のEちゃんは、入園当初、泣いてなかなかお部屋に入る事が出来ず、漸く入室できても担任から全くはなれる事が出来ない状態でした。
しかし、夏休みを過ぎた頃でしょうか。少しずつ活動を始めるようになると、
外遊びでは担任以外の教師とも嬉しそうに遊ぶことができるようになってきました。
11月頃には縄跳びの活動が始まると、
一生懸命一人で縄を回す練習を始め1回、2回と跳べるようになり、教師と一緒でなくとも一人で活動ができる様になっていったのです。
Eちゃんはお仕事や縄跳びという自己活動を通して、自立という正常化に向かっていったのです。
また、Aちゃんは年少児の頃全くお仕事をしようとせず、ただひたすら他人の仕事を見る園生活を送っていました。
しかし、年中になると自分から進んで縫いさしの活動を選び、教師に指導を受ける事無く一人でやり遂げてしまいました。
一つの活動をやり遂げると自信が出来たのでしょう。
その後からは次々と、活動をしていきました。年少の時にただクラス内をうろうろしていたのではなかったのです。
「他人の仕事を見る」という大切な活動をしていたのですね。
それを裏付けるように、Aちゃんはいざ新しい活動を始めると、全く教師の指導を必要とはしませんでした。
Aちゃんの姿を見ると、「子どもの秘密」という事実に気づかされます。
つい大人は何もしない状態を見ると手も口も出してしまいそうです。
しかし、子どもを援助する大人にとって大切なのは、その子の時を待つことです。
子どもの育ち方は、形も時間も違います。子どもたちはよき援助者に見守られると、自己実現のため真剣に活動をし、人格を創っていきます。
子どもを見守る教師の役割は、「教える」事ではなく子どもが本来持っている自然のエネルギーを「導きだす」事です。
その結果として、正常化といわれる子どもの姿は生まれます。
正常化された子どもは、おだやかで、素直で思いやりがあります。活動に真面目に取り組み、その環境を大切にします。
知的向上心に溢れ自立心と独立心を持って、自己を成長させる努力をする事が出来ます。
EちゃんやAちゃんは、園生活の中でお仕事と出会い、繰り返し活動をするうちに自立という正常化に至りました。
また、園外保育を無事終えることの出来た年長さんも自立した結果でしょう。
マリア・モンテッソーリの直弟子であったパウリーニ先生は、 「子どもたちの秘密の中に私が入り込む事が出来ますように、どうぞ力をお与えください」 と祈りました。
正常化で見せてくれる子どもたちの平和な姿は、教え込んで作られていくものではありません。
未来の大人としての創造者である子どもに対して、敬意を持った大人が存在すること、
その大人が謙虚な心で子どもの生命に仕える事が、子どもの秘密に出会える要因といえます。

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